理屈と感情は少し違うんだね
先日、たまたま別居前に住んでいた家の前を通りかかりました。
見慣れない車が止まっていて、洗濯物が干してあり、表札が新しい人の名前に変わっていました。
「もう、買主さんが引っ越して住んでるだな」と思うと安心した反面、正直少し寂しい気分になりました。
幸い近所の人ともそれほど交流はなく、特に仲良かった人もいませんでした。
家の中は元夫の地雷だらけで、「そこで寝るな!」「そこ触るな!」「そこ踏むな!」の連発で、挙句の果てには「髪の毛落とすな!」「お菓子はゴミ箱の上で食え!」と言う状態だったので自由にくつろぐことができませんでした。
私の居場所はリビングのクローゼットの中に置いた本棚とパソコンの前だけでした。
そのパソコンもちょくちょく覗かれるので、そのたびに画面を変えていました。
炬燵も禁止でした。
正直、安心してくつろげる場所ではなかったし、モラハラに悩まされていた日々だったので、あまりいい思い出がありませんでした。
前の家で楽しかった記憶をなんとか思いだそうとしても全然出てこない・・・。
子供部屋もあったけれどデスクを買わせてもらえず、結局子供部屋は使わないまま物置状態で、リビングが子供の居場所でした。
たまたまではありますが、子供も近所にそんなに仲のいい子はおらず、隣の子とは性格が全く合わなかったので、愛着はそれほどなかったようでした。
結果、子供にとっても良かったと思います。
総合的に考えても、客観的に考えても、どう考えても売却した方がベストだったし、無事売却できて感謝しているし、本当に良かったと思います。
今は安心して子供とテーブルや炬燵でお菓子を食べれています。
この感情はなんだろう・・・と考えてみました。
おそらく愛着や未練というよりは、「本当は私が暮らしたいと思い描いていた生活があの家ではできなかった」という寂しさだと思います。
本当は自分の部屋を確保してほっとする時間が過ごしたかった。
本当は小学校入学前にデスクを買ってあげて、子供に子供部屋で楽しく過ごさせてあげたかった。
でも、実際は全く違いました。
もうあまり通りかかることはないから、そのうち寂しさも薄れていくでしょう。
新しい家族の方が楽しく過ごしてくれるといいなと思います。
|