昔のノートを見て驚愕した
日中、だいぶ暖かくなりましたね。
お洗濯物を外に干してもだいたい乾くようになってきました。
さて、先日ふと大昔に書いたドリームノート、いわゆる「1年後の理想の自分像ノート本」みたいなのをみつけたので見てみたら・・・
びっくり!!!😲
もうね、泣けるほど望みが小さすぎて驚愕しました。。。
書いてたのは理想のビジュアルだけ。
「それでいいんかい・・・(昔の)私?!」って思いました。
「現在(当時)の自分」の状態は書きだしてたんですが
理想の1年後のいろんな欄はなんと・・・
ほぼ空白でした。
なーんも想像できなかったのね。
まあサバイバルだったもんね。
でもこういう本を買ったってことは、現状に幸せを感じてなくて、もっと幸せを感じる生活があるんじゃないかってどこかで思ってたんだろうな。
あまり覚えてないけれど、多分この頃は「なんか大変だな」とは思いつつも、まだモラハラにそれほど気づいてない時期でした。
というのも子供も小さくて手がかかるし、会社ではマタハラでもういろいろ各方面いっぱいいっぱいだったんだと思います。
会社では女性の同僚2人にマタハラモラハラやられてたんですが、女性もたいがいエグかったです。
ホント、性格って男女問わずいろんな人いるから、お付き合いする相手は選びたいですね。
会社は意外と男性のほうが親切だったり、助けてくれたり、協力的でした。
今はもっとノートに「おいおいwww」ってくらいワガママというか無茶な望み書けます。
叶うかどうかは別として、それだけ回復したというか、自由な気持ちになったんでしょうね。
ちょっと昔のノートを見て、泣きそうになってしまいました。
私、もっと幸せになっていいと思うぞ!
過去と今の私にエール送っときます!
調停2年は長かったんだという実感
相変わらず寒いですが、12月に比べるとちょっと日が長くなってきたかな?
だんだん春に向かってる感じがします。
今日、久々に昔お世話になっていたカウンセラーさんとお話ししました。
この先生のおかげで離婚に踏み出せたのですが、事情があって調停が終わるまで連絡しないと決めていたので2年かかってやっと報告できました。
その先生も離婚をご経験されているのですが、「2年は長かったね・・・。」「しかもかなり大変だったのね・・・。」と言ってくださり、
「私はすごい壁を乗り越えたんだな」
と改めて実感しました。
調停中はなんとか解決しようと必死なのでほぼ戦闘中状態でしたからね。
ネットで見てる限りは普通は半年で解決するみたいだし
「いつまで調停しなきゃならないんだろう」
「裁判まで行くのかな?」
「ホントに終わるんだろうか」
と何度も思いました。
もちろん同居してた時も毎日が「なんとかしなきゃ」のサバイバルモードでしたけども。
やっとサバイバルから抜けたんだなと実感しました。
抜けた後は緊張から解放されるからか、どっといろんな感情が沸いてきます。
緊急事態宣言で気ままに外出ができない時期もあり、昔のトラウマややりたくてもできなかったこととか。
今、多分ちょうどそういう時期なんだろうと思う。
おそらくずっと抑圧していたんでしょうね。
今までの一般的なモデルパターンである、というか子供の頃に大人に叩き込まれた
「結婚して、子供を産んで、家庭を築く」
というコースから抜けたので、これからはオリジナルな生き方をすることになるんだなとも思います。
ある意味「自由なった」のかもしれません。
勿論、今は
「結婚して子供も産んだけど、離婚した」
っていうパターンも多いですが、世間的にはまだまだ「結婚=幸せな家庭」というイメージのほうが強いのかなと言う感じなんだけどどうなんだろう?
今はまだ自分の着地場所が分からないですが、いずれは「こうしたい」っていう自分が見つかるのかな。
だんだん自分らしさが戻ってきたよ
今年は世間的にはいろいろと騒がしい年でしたが、そろそろ2020年もあと数日ですね。
私が別居したのは2年前でまだコロナ禍前でした。
今思うと、あの時に思い切って決意して本当に良かったです。
子供もまだ小学生で動きやすかったし、もちろん私自身も動きやすかった。
勿論世の中がこうなるとは想像もしてなかったけれど、今年だったらきつかっただろうなーと思います。
調停も今年の春頃は一時期停止状態でしたが、その前にいろいろと話も進んでいたのでに水面下で状況も進めることができて、調停再開した時はほとんど確認程度で進みました。
もしあの時、出ていかなくてコロナ禍に突入していたら、在宅勤務の私は「お前は家にいるんだからあれやっとけ!これやっとけ!」と確実にモラハラが激化していたと思います。
夜中寝ているときにも蹴られたり、寒くても毛布も炬燵も使わせてもらえず、スリッパも履くなというモラ独特の謎ルールの状態で耐えられたか自信がありません。
そう思うと、思い切って脱出してよかった。
本当にタイミングが良かった。
実は最初は別居せずに調停しようと思ってたのですが、専門家の方々の「別居しないと何よりあなたが精神的にきついですよ」という一貫したアドバイスで決断しました。
実際にそうだったと思うので、専門家のアドバイスは聞いておいてよかったです。
それに、別居してからは精神面でもずいぶん自分らしさが回復してきたなあと思います。
調停しながら、弁護士さんや調停員さんやその他の方々との会話の仲で「あ、そういえば普通はこうだよな。それでいいんだよな。」と気づくことが多かったし、友人やいろんな人との接点がとても増えて、人の輪や世界が広がりました。
そうしているうちに「そういや私ってこういうの好きだったな」っていう本来の自分に改めて気づくようになり、またそれが自由にできるのですごく楽になってきました。
今思うと、TV番組ひとつにしても全然合わなかったなー・・・。
私は音楽番組とかサッカーやバレーなんかも大好きなんですが、今普通にそれが見れて楽しめるようになって楽しいと感じる時間が増えました。
好きな所に座っていいし、すきなところでくつろいでいい。
時間も自分のペースで過ごせる。
当たり前のことがとても幸せなことなんだなって気づくことが増えました。
どんどん自分らしさが戻ってくるとパワーも戻ってきました。
読者の皆様、今年はブログを読んでくださりありがとうございました。
少しでもモラハラに苦しんでる方の救いになれば幸いです。
来年は自分軸をもっと取り戻したいなーって思います。
皆さまもよいお年を!
優しい世界
先日、職場でも苗字が変わったので仕事で関係ある方々にメールで伝えました。
たまたま出社していた先輩に「離婚で苗字が変わりました。」と伝えたら、
「そうなんだ?私も離婚経験者だから。うちの会社、実は女の人でも離婚した人いっぱいいるよ。」
と優しく答えてくださいました。
そんなに交流のある先輩ではないけれど、その言葉がすごく嬉しかったです。
先輩はお子さんのお気持ちを尊重されて旧姓に戻さず、元夫の名前のままずっとこられているそうです。
今は職場の方と再婚されて、とても仲良くて幸せそうです。
また、別部署の仲の良い友達にも「離婚して苗字が変わったからよろしくね」と伝えたら、「(メールで)名前見て誰かと思ったけど、そうなんだ・・・。離婚おめでとう!新しい人生の門出を祝福します!」と言ってくれました。
離婚してモラハラから離れて、他人からもモラハラされなくなってきたように思います。
婚姻中は産後復帰してみれば、同僚女性2人がかりで今でいう「これはモラハラ・マタハラですよ」というものをほぼすべてされました。
よく耐えたなあ・・・。
どうなることかと思ったけど、たまたま会社の都合で3年くらいで別部署に離れられましたが、またそのうちの1人がなぜか戻ってきて嫌がらせが始まり、結局何年かは耐え続けました。
その後、また会社の異動でその同僚とも離れられたのですが、今度は転勤してきた上司がパワハラでした。
その上司も今年の4月には転勤したので、結局1年くらい前までは職場でもモラハラを受けることが多かったです。
おそらく、元夫に怯えている私の心理状態が、そういう人間性を持つ人から本能的にターゲットにされやすかったんだと思います。
今は、離婚しても優しい言葉をかけてくれる先輩や友達が周りにいてくれて、世界が優しくなったなあ・・・と、お昼ご飯を食べながら思わず涙があふれて「ありがとう・・」と独り言をつぶやいてしまいました。
別居して2年程かかりましたが、その2年は私の心を癒してくれた時間でもあったようです。
やはりモラハラの傷を癒すには、離れるのが一番です!
手続き、そして手続き
もう12月。
離婚成立してその後の手続き三昧の日々を過ごしております。
ホント、名前変えるってこんなに大変なの?!って感じです。
離婚成立の後、どれくらい氏名変更の手続きしたか一覧を書き出してみました。
離婚届提出から始まって、銀行やらクレカやインフラなどの変更等を含め、現時点でなんと35件もありました。
公的機関や銀行関連以外はだいたい電話か郵送です。
毎日、ひたすら申請用紙を書き続けています(*_*;
自分で言うのもなんですが、事務処理系は要領がいい方なんですけど、さすがに「多い!!!」と言う感じです。
婚姻期間中の本籍地が他府県だったので取り寄せも時間かかりました。
それでも公的に主要なものは率先してだいたい終わらせました。
民間系はもちろんまだ終わってません(笑)
都銀の近くの支店が閉鎖になったので電車乗って他の店舗まで行かなきゃならず、意外にも後回しになってます。
離婚成立が12月になっていたら忙しかっただろうなあ・・・。
名前を変えた方は本当にやること多いけど、名前がそのままの元夫は何もしなくていいんだよね・・・。
離婚した友達は元夫の姓から変えてない人も結構いて、聞くと「手続きが面倒だから」だそうです。
まあこれだけ多いと確かに気持ちは分かる。
そのパターンは話し合いで協議離婚できた人が多いかな。
ただ、手続きは一旦やってしまえば済むことなので。
私も子供のことを考えると少し悩みましたが、モラハラ元夫の名前をいつまでも名乗り続けるのがどうしても嫌なので変えました。
ちなみに、離婚してもそのまま元夫の姓を選択すると、仮に再婚して離婚しても元夫の名前にしか戻れませんので、そこも含めて考えた方がいいと思います。
「15年経ったら小さな出来事になるよ」
尊敬するブロガーさんのお言葉です。
離婚が成立した時、調停中にずっと読んで励みにさせていただいていたブロガーさんにどうしても報告したくて思わずメールを送ってしまいました。
その時のお返事に書かれていました。
そのブロガーさんは離婚時まだお子さんが就学前だったそうですが、15年経ち、小さかったお子さんも今は大学生として一人暮らしをしているそうです。
お会いしたこともなくブログ越しですが、お子さんを立派に育て上げたという意味と、感情を文章で表現されるのが的確でとても心に響くという意味で尊敬しています。
ブロガーさんもそうだったらしいのですが「離婚してスッキリ!」という気持ちだけではなく、何とも言えない複雑な気持ちと言うのが正直なところです。
もちろん元夫とは顔も見たくありませんし、離婚して良かったと思ってます。
いわゆる「揺り戻し」というものなのでしょう。
人間の心は変化を嫌うのだそうで、消化するのに時間がかかるようです。
私はどちらかと言うと行動的なほうなのですが、それでもこういう気持ちになるので、おそらくほとんどの人が似たような気持ちを味わってるのでしょう。
友達からは「気楽にね」と声をかけてもらっています。
友達って本当にありがたいね。
でもそんな気持ちも15年もたつと思い出せないくらい小さな思い出になるのだそうです。
経験者であるブロガーさんから、そう言っていただけると、本当に説得力がありますね。
これからはゆっくり自分を取り戻していきたいと思います。