手続き、そして手続き
もう12月。
離婚成立してその後の手続き三昧の日々を過ごしております。
ホント、名前変えるってこんなに大変なの?!って感じです。
離婚成立の後、どれくらい氏名変更の手続きしたか一覧を書き出してみました。
離婚届提出から始まって、銀行やらクレカやインフラなどの変更等を含め、現時点でなんと35件もありました。
公的機関や銀行関連以外はだいたい電話か郵送です。
毎日、ひたすら申請用紙を書き続けています(*_*;
自分で言うのもなんですが、事務処理系は要領がいい方なんですけど、さすがに「多い!!!」と言う感じです。
婚姻期間中の本籍地が他府県だったので取り寄せも時間かかりました。
それでも公的に主要なものは率先してだいたい終わらせました。
民間系はもちろんまだ終わってません(笑)
都銀の近くの支店が閉鎖になったので電車乗って他の店舗まで行かなきゃならず、意外にも後回しになってます。
離婚成立が12月になっていたら忙しかっただろうなあ・・・。
名前を変えた方は本当にやること多いけど、名前がそのままの元夫は何もしなくていいんだよね・・・。
離婚した友達は元夫の姓から変えてない人も結構いて、聞くと「手続きが面倒だから」だそうです。
まあこれだけ多いと確かに気持ちは分かる。
そのパターンは話し合いで協議離婚できた人が多いかな。
ただ、手続きは一旦やってしまえば済むことなので。
私も子供のことを考えると少し悩みましたが、モラハラ元夫の名前をいつまでも名乗り続けるのがどうしても嫌なので変えました。
ちなみに、離婚してもそのまま元夫の姓を選択すると、仮に再婚して離婚しても元夫の名前にしか戻れませんので、そこも含めて考えた方がいいと思います。
「15年経ったら小さな出来事になるよ」
尊敬するブロガーさんのお言葉です。
離婚が成立した時、調停中にずっと読んで励みにさせていただいていたブロガーさんにどうしても報告したくて思わずメールを送ってしまいました。
その時のお返事に書かれていました。
そのブロガーさんは離婚時まだお子さんが就学前だったそうですが、15年経ち、小さかったお子さんも今は大学生として一人暮らしをしているそうです。
お会いしたこともなくブログ越しですが、お子さんを立派に育て上げたという意味と、感情を文章で表現されるのが的確でとても心に響くという意味で尊敬しています。
ブロガーさんもそうだったらしいのですが「離婚してスッキリ!」という気持ちだけではなく、何とも言えない複雑な気持ちと言うのが正直なところです。
もちろん元夫とは顔も見たくありませんし、離婚して良かったと思ってます。
いわゆる「揺り戻し」というものなのでしょう。
人間の心は変化を嫌うのだそうで、消化するのに時間がかかるようです。
私はどちらかと言うと行動的なほうなのですが、それでもこういう気持ちになるので、おそらくほとんどの人が似たような気持ちを味わってるのでしょう。
友達からは「気楽にね」と声をかけてもらっています。
友達って本当にありがたいね。
でもそんな気持ちも15年もたつと思い出せないくらい小さな思い出になるのだそうです。
経験者であるブロガーさんから、そう言っていただけると、本当に説得力がありますね。
これからはゆっくり自分を取り戻していきたいと思います。
理屈と感情は少し違うんだね
先日、たまたま別居前に住んでいた家の前を通りかかりました。
見慣れない車が止まっていて、洗濯物が干してあり、表札が新しい人の名前に変わっていました。
「もう、買主さんが引っ越して住んでるだな」と思うと安心した反面、正直少し寂しい気分になりました。
幸い近所の人ともそれほど交流はなく、特に仲良かった人もいませんでした。
家の中は元夫の地雷だらけで、「そこで寝るな!」「そこ触るな!」「そこ踏むな!」の連発で、挙句の果てには「髪の毛落とすな!」「お菓子はゴミ箱の上で食え!」と言う状態だったので自由にくつろぐことができませんでした。
私の居場所はリビングのクローゼットの中に置いた本棚とパソコンの前だけでした。
そのパソコンもちょくちょく覗かれるので、そのたびに画面を変えていました。
炬燵も禁止でした。
正直、安心してくつろげる場所ではなかったし、モラハラに悩まされていた日々だったので、あまりいい思い出がありませんでした。
前の家で楽しかった記憶をなんとか思いだそうとしても全然出てこない・・・。
子供部屋もあったけれどデスクを買わせてもらえず、結局子供部屋は使わないまま物置状態で、リビングが子供の居場所でした。
たまたまではありますが、子供も近所にそんなに仲のいい子はおらず、隣の子とは性格が全く合わなかったので、愛着はそれほどなかったようでした。
結果、子供にとっても良かったと思います。
総合的に考えても、客観的に考えても、どう考えても売却した方がベストだったし、無事売却できて感謝しているし、本当に良かったと思います。
今は安心して子供とテーブルや炬燵でお菓子を食べれています。
この感情はなんだろう・・・と考えてみました。
おそらく愛着や未練というよりは、「本当は私が暮らしたいと思い描いていた生活があの家ではできなかった」という寂しさだと思います。
本当は自分の部屋を確保してほっとする時間が過ごしたかった。
本当は小学校入学前にデスクを買ってあげて、子供に子供部屋で楽しく過ごさせてあげたかった。
でも、実際は全く違いました。
もうあまり通りかかることはないから、そのうち寂しさも薄れていくでしょう。
新しい家族の方が楽しく過ごしてくれるといいなと思います。
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プロフィールを更新しました
離婚が成立したため、プロフィールの記事を更新しました。
長い戦いだったなあ・・・。
普通、離婚調停成立の目安は半年だそうです。
回数だと5~6回程度ですね。
もちろん、1回で終わった人もいると聞くので、それぞれですね。
私の2年は長い方だそうです。
よく頑張ったなあ・・・。
「肩の荷が下りる」という言葉がありますが、まさにそれ。
本当に肩こりまで軽減しました(笑)
お会いしたこともないモラハラ離婚ブロガーさんにメールを送ってお返事いただいたり、カウンセラーさんにも頼ったこともありました。
ブロガーさんもカウンセラーさんもモラハラ離婚の先輩です。
やはり経験者は理解が早いですし、適切にアドバイスをしていただいて助かりました。
そこに私が拝読している別ジャンルのブロガーさんのメルマガがタイムリーなことに、「離婚して2年後経ち、彼氏からプロポーズされました!」と届いてびっくり!
その方も実はモラハラ離婚されたシンママさんでした。
時々話し相手になってくれてる友人も、離婚直後は不安定になってましたが、もうお子さんも無事成人されて就職されたそうで、今は友達と飲み会に行ったりして元の元気で明るい彼女に戻っていて楽しそうです。
他にも、離婚に悩んでいた時を背中を押してくださったカウンセラーさんも本業が盛況に加えて彼氏ができたりと幸せそうです。
ブロガーさんも離婚後半年ほどで優しい方と再婚されたそうだし、私の周りでモラハラ離婚された方はみんな離婚して幸せになってるみたい。
今のところ再婚なんてコリゴリですが、幸せになっていった先輩方の背中にはすごく励まされます。
離婚して幸せになってる人たくさんいるよ!
これはブログのタイトルでもあり、私自身とみなさんへのメッセージです。
もちろん、その人それぞれケースバイケースですから、よく考えて「自分で」決めてくださいね。
誰かのせいにしないこと。自分で決めること。
私もカウンセラーさんに背中を押してもらったけれど、最終的にどうするかは
「自分の人生だから自分で決めなさい」
と言われました。
でも、それがベストだったと思いますし、とてもありがたかったです。
離婚成立で言われた言葉
離婚が成立したことを友達やお世話になった人にさっそく報告しました。
みんな一様に「おめでとう!」と言ってくれました。
私が苦労してたことをみんな知ってるからですが、いつのまにか離婚のイメージが昔と比べて大きく変わったなあと思いました。
私の子供の頃は田舎だったこともあり、「あそこの子、親が離婚したんだって」と陰でコソコソ言われる時代でしたので、あまりいいイメージがありませんでした。
ところが今は、そんなうちの田舎でもかなり離婚していているそうです。
友人は「うちなんて3人兄弟なのに全員離婚した」と言っていました。
まあ何か理由がなかったら離婚なんてパワーがいるようなことしないですよね。
そういう当たり前のことが受け入れられる世の中になってくれてよかったです。
離婚しました
1年10か月の調停を経て、この度無事離婚しました。
調停は12回だったそうです。
私も途中からカウントできなくなって、最後に調停員に教えてもらいました。
婚姻期間は17年(うち2年は別居、調停)でした。
調停前日は少し複雑な気分でしたが、離婚成立した後は晴れ晴れとした気分でした。
きっと、前日に複雑な気持ちを感じ切ったのでしょうね。
途中は「いつ終わるのだろう」「本当に離婚できるのだろうか」と不安になることもしばしばありました。
結婚より離婚のほうが倍以上パワーがいるとは本当にその通りでした。
モラハラあるあるですが、養育費と面会交流は最後までゴネられました。
もともと「養育費なんか踏み倒せるねん。あんなん払うやつアホや」が元夫の持論だったので期待はしていませんでしたが、12回に渡って調停員から「養育費とは子供が育つためのお金で、親として払うべきもの」と説得し続けてもらっても考えを改めませんでした。
今でも結局モラハラをしていたという自覚はないと思います。
養育費も意味を理解していないでしょう。
弁護士さんも良く理解しておられて、結局は早く離婚をするほうを選択しました。
この2年ほどの間、いろんな人に助けてもらいましたが、弁護士さんも調停員も業者の人もみんな「あれじゃ大変だったでしょうね・・・。」と分かってくださって、本当にありがたかったです。
後は手続きにあちこち行かなければならないですが、年内に肩の荷が下りてほっとしています。
離婚は最後の自立のチャンスだと思う
知り合いから言われた言葉です。
元夫は「子供のまま年を取ったけれど、結局大人になれずに、離婚でまた子供にもどったんだね」
あまりにも的確すぎて、「その通りです・・・」と答えてしまいました。
夫は、仕事でイライラした時に、必ず私に八つ当たりをしてきました。
ある時は電話で、私が妊娠中にもかかわらず怒鳴り散らし脅しまくられました。
丁度、友達の家で集まって楽しく歓談しているときだったので、友達はみんな驚いて「ひどい・・・。臨月の嫁に言う言葉じゃないよね・・・」
「大丈夫?」
と慰めてくれました。
あまりにも耐えきれず、義母に八つ当たりをやめるように説得をしてほしいと電話でお願いをしたのですが、その時に言われた言葉が衝撃でした。
「うちの子、働かされて可哀想・・・(涙)」
・・・は?
・・・あの、私妊娠しながらも働いてるんですけど???
あまりにも話が通じなさ過ぎて、適当に電話を終わらせました。
ちなみに、義母は高度経済成長期時代の人なので専業主婦でした。
その後の、元夫と義母のやりとりを見ていても、義母は何でもわがままを「はいはい」と聞いていました。
おそらく、親子で適切な境界線がきちんとできておらず、自立させるべきところで突き放せなかったんだろうなと思います。
そして本人も、思春期にきちんと自立しなければという自覚をもつことができなかったのでしょう。
だから元夫は大人になってもスーツをハンガーにかけることが出来なかったんだと思います。
なので、当然のように私にも「あれをしろ」「これをしろ」と強要しがちでした。
例えば、「料理をこのように(ものすごく手がかかる特殊な工程で)作れ」とか。
さすがに私は「無理!自分でやって!」というと、義母に頼んでいました。
けれども、さすがに子どもを育てていると、ある程度はなんとかせざるを得ないことも多々あり、結局いつのまにか私が先回りしてやるようになってしまい、元夫はどんどんやらなくなるという状態になっていきました。
多分、共依存と言う状態だったと思います。
そしてある時、「ああ、これは私のやるべきことではない!このままではお互いにとってきっと良くない」とふと気づくことがあり、離婚を決意しました。
知人越しに聞いた話ですが、別居して時間が経つにつれ、きちんと自立したの大人に比べると全然まだまだですが、やっと少しづつ自分のことを自分で考え行動するようになってきたようです。
誰か経由で話を聞くと、時々「こうすればいいのに」と先回り癖が出そうになりますが、突き放すと決めたからには貫こうと思っています。
おそらく、まだ義母が元気な今のうちが元夫の最後の自立のチャンスだと思ってます。
そして私も他人との境界線を適切に引くことを学ぶチャンスだと思います。
助けてあげることばかりが優しさではなく、突き放すことも優しさの一つだと思う今日この頃です。