裁判所からの通知が届かない
3月ももうあと少しなんてびっくり。
今月は早かったなー・・・。
さて、3月上旬に養育費の強制執行の手続きをしたのですが、裁判所から「第三債務者と債務者に郵便を送付しました」という通知がまだ届きません。
時期的に遅いので裁判所に問い合わせたところ、
「会社に届けたという通知は郵便局から来たのですが、債務者(元夫)に届けたという通知がまだ来ません。
受け取り拒否しているか、受け取りの手続きをしていないかだと思いますが、郵便局の保管期間は1週間なので過ぎれば連絡が来ると思いいます。
届かなかったという事になれば、会社のほうに郵便を受け取って本人に渡してもらうという手続きを申請してもらうことになるので、その際はお知らせします」
とのことでした。
日常から細々としたことができない性格だったので、おそらく昼間の留守中に届けられ不在票が入ったにもかかわらず、再配達の連絡をしていないと思われます。
もしくは受け取り拒否をしているのかもしれません。
どちらにせよ、養育費には興味がない、また払いたくないんでしょうね。
受け取らないなら、こちらは「支払います」と返事してくださった先方の会社に支払先を連絡できないので、粛々と次の手続きをするしかないのですが・・・。
ここまで養育費を払ってもらうのに時間と手間がかかるとは思いませんでした。
裁判所の調停調書にも記載したことなのに。
父親失格であることは確実だなと思いました。
つくづく離婚できて良かったと思いました。
養育費は受け取りましょう
桜が咲き始めましたね。
もう春なんだなあ。
家の中にいると寒いけど、外に出ると暖かいですね。
さて、2020年4月より養育費についての法律が厳しくなり、実質自営業でもない限りは逃げられない仕組みになりました。
詳しくは法務省や裁判所等のHPをご参照ください。
私の場合は「家庭裁判所における履行の確保の手続」をせずに、いきなり「強制執行の申立て」を選びました。
手続き自体はすべて郵送やネットで書類を取り寄せることができるので、わざわざ法務局や裁判所に出向かなくてもパソコンとプリンターがあれば自分でできます。
裁判所の書類は細かいところまで厳密にチェックされるので、リテイクはありましたが、きちんと訂正箇所を教えていただいたおかげで一回だけの訂正で済みました。
なぜ履行確保の手続きをしなかったかというと、
①離婚前から「養育費は踏み倒せる。払わなくていいねん。あんなの払うやつアホや」 と何度も口にしていた。
②調停中の婚費すら遅延したり勝手に減額したり、挙句未払い分も払えないと踏み倒 された。
③調停でも、なかなか家売却に応じてくれず、ずっと前の家のローンを払わなければならならず、こちらの負担に全く配慮がなかった。
④差し押さえられる金額に上限がある。
⑤モラハラ夫との直接の会話はできるだけ避けたかった。常識のある第三者(裁判所、 相手の会社)を挟みたかった。
などの理由から、裁判所から催促してもらっても罰則がない限りは無視するか、しばらく振り込まれてもまた滞るだろうことは安易に想像できるからです。
子供もまだ手がかかる年代なので、そういうことに毎月振り回されるのは嫌でした。
また、モラハラという温情など何もない人間に温情をかけたところで、微塵も通じないのは長年見て来たのでよく知っています。
私の場合は相手の会社を第三債務者としたので、もちろん会社で何か言われたでしょうが、養育費を払ってくれていれば何の問題もなかったし、こちらも強制執行をせずに済んだので、本人が蒔いた種が結果として本人に返ってきたまでです。
おそらく①に関しては、「払わなくてもペナルティがないなら払わなくていい」という感覚で養育費=子供の成長のためのお金と言う感覚がないのでしょう。父親としての義務を果たせてません。
ていうか、養育費を「あんなの」って・・・。
自分は親に大学まで行かせてもらってるのに、ありがたみとか考えたことがなかったんでしょうね。
②も同じ理由で自分のことだけしか考えていない発言ばかり調停で聞かされました。
自分の欲しいものは買ってるのに。
ただ、相手がまだ常識がある相手であれば「家庭裁判所における履行の確保の手続」で足ると思います。こちらのほうが手続きも簡単です。
強制執行の手続きは、収入印紙や切手代などで8000円くらいかかりましたし、書類を取り寄せる作業に3週間ほどかかりました。
強制執行の場合、相手によっては養育費の差し押さえは相手によっては弁護士を依頼した方がいいかもしれません。
相手がDVなどの場合は弁護士を依頼したほうがいいと思います。
私の場合はモラハラ(DVも少々あり)でしたが、それでも何度か弁護士を依頼した方が良かったかなと思いました。
ただ、前の弁護士さんが相談に乗ってくださったのと、裁判所の方が詳しく説明してくださった方がいたので何とか申請が通りましたが、裁判所の方も電話に出る人によっては言い方がきつい方もいました。
あと、申請の仕方については割と詳しくネットに載っていますが、実際の流れや申請後については私が探した限りあまり詳しい情報がありませんでしたので、事前に調べておく方が良いです。
もちろん、大前提として離婚する際はきちんと養育費について決めて公正証書などに文書として残しておくようにしてくださいね。
養育費は子供の権利ですので、安易にあきらめずにできる限り受け取りましょう。
昔のノートを見て驚愕した
日中、だいぶ暖かくなりましたね。
お洗濯物を外に干してもだいたい乾くようになってきました。
さて、先日ふと大昔に書いたドリームノート、いわゆる「1年後の理想の自分像ノート本」みたいなのをみつけたので見てみたら・・・
びっくり!!!😲
もうね、泣けるほど望みが小さすぎて驚愕しました。。。
書いてたのは理想のビジュアルだけ。
「それでいいんかい・・・(昔の)私?!」って思いました。
「現在(当時)の自分」の状態は書きだしてたんですが
理想の1年後のいろんな欄はなんと・・・
ほぼ空白でした。
なーんも想像できなかったのね。
まあサバイバルだったもんね。
でもこういう本を買ったってことは、現状に幸せを感じてなくて、もっと幸せを感じる生活があるんじゃないかってどこかで思ってたんだろうな。
あまり覚えてないけれど、多分この頃は「なんか大変だな」とは思いつつも、まだモラハラにそれほど気づいてない時期でした。
というのも子供も小さくて手がかかるし、会社ではマタハラでもういろいろ各方面いっぱいいっぱいだったんだと思います。
会社では女性の同僚2人にマタハラモラハラやられてたんですが、女性もたいがいエグかったです。
ホント、性格って男女問わずいろんな人いるから、お付き合いする相手は選びたいですね。
会社は意外と男性のほうが親切だったり、助けてくれたり、協力的でした。
今はもっとノートに「おいおいwww」ってくらいワガママというか無茶な望み書けます。
叶うかどうかは別として、それだけ回復したというか、自由な気持ちになったんでしょうね。
ちょっと昔のノートを見て、泣きそうになってしまいました。
私、もっと幸せになっていいと思うぞ!
過去と今の私にエール送っときます!
調停2年は長かったんだという実感
相変わらず寒いですが、12月に比べるとちょっと日が長くなってきたかな?
だんだん春に向かってる感じがします。
今日、久々に昔お世話になっていたカウンセラーさんとお話ししました。
この先生のおかげで離婚に踏み出せたのですが、事情があって調停が終わるまで連絡しないと決めていたので2年かかってやっと報告できました。
その先生も離婚をご経験されているのですが、「2年は長かったね・・・。」「しかもかなり大変だったのね・・・。」と言ってくださり、
「私はすごい壁を乗り越えたんだな」
と改めて実感しました。
調停中はなんとか解決しようと必死なのでほぼ戦闘中状態でしたからね。
ネットで見てる限りは普通は半年で解決するみたいだし
「いつまで調停しなきゃならないんだろう」
「裁判まで行くのかな?」
「ホントに終わるんだろうか」
と何度も思いました。
もちろん同居してた時も毎日が「なんとかしなきゃ」のサバイバルモードでしたけども。
やっとサバイバルから抜けたんだなと実感しました。
抜けた後は緊張から解放されるからか、どっといろんな感情が沸いてきます。
緊急事態宣言で気ままに外出ができない時期もあり、昔のトラウマややりたくてもできなかったこととか。
今、多分ちょうどそういう時期なんだろうと思う。
おそらくずっと抑圧していたんでしょうね。
今までの一般的なモデルパターンである、というか子供の頃に大人に叩き込まれた
「結婚して、子供を産んで、家庭を築く」
というコースから抜けたので、これからはオリジナルな生き方をすることになるんだなとも思います。
ある意味「自由なった」のかもしれません。
勿論、今は
「結婚して子供も産んだけど、離婚した」
っていうパターンも多いですが、世間的にはまだまだ「結婚=幸せな家庭」というイメージのほうが強いのかなと言う感じなんだけどどうなんだろう?
今はまだ自分の着地場所が分からないですが、いずれは「こうしたい」っていう自分が見つかるのかな。
だんだん自分らしさが戻ってきたよ
今年は世間的にはいろいろと騒がしい年でしたが、そろそろ2020年もあと数日ですね。
私が別居したのは2年前でまだコロナ禍前でした。
今思うと、あの時に思い切って決意して本当に良かったです。
子供もまだ小学生で動きやすかったし、もちろん私自身も動きやすかった。
勿論世の中がこうなるとは想像もしてなかったけれど、今年だったらきつかっただろうなーと思います。
調停も今年の春頃は一時期停止状態でしたが、その前にいろいろと話も進んでいたのでに水面下で状況も進めることができて、調停再開した時はほとんど確認程度で進みました。
もしあの時、出ていかなくてコロナ禍に突入していたら、在宅勤務の私は「お前は家にいるんだからあれやっとけ!これやっとけ!」と確実にモラハラが激化していたと思います。
夜中寝ているときにも蹴られたり、寒くても毛布も炬燵も使わせてもらえず、スリッパも履くなというモラ独特の謎ルールの状態で耐えられたか自信がありません。
そう思うと、思い切って脱出してよかった。
本当にタイミングが良かった。
実は最初は別居せずに調停しようと思ってたのですが、専門家の方々の「別居しないと何よりあなたが精神的にきついですよ」という一貫したアドバイスで決断しました。
実際にそうだったと思うので、専門家のアドバイスは聞いておいてよかったです。
それに、別居してからは精神面でもずいぶん自分らしさが回復してきたなあと思います。
調停しながら、弁護士さんや調停員さんやその他の方々との会話の仲で「あ、そういえば普通はこうだよな。それでいいんだよな。」と気づくことが多かったし、友人やいろんな人との接点がとても増えて、人の輪や世界が広がりました。
そうしているうちに「そういや私ってこういうの好きだったな」っていう本来の自分に改めて気づくようになり、またそれが自由にできるのですごく楽になってきました。
今思うと、TV番組ひとつにしても全然合わなかったなー・・・。
私は音楽番組とかサッカーやバレーなんかも大好きなんですが、今普通にそれが見れて楽しめるようになって楽しいと感じる時間が増えました。
好きな所に座っていいし、すきなところでくつろいでいい。
時間も自分のペースで過ごせる。
当たり前のことがとても幸せなことなんだなって気づくことが増えました。
どんどん自分らしさが戻ってくるとパワーも戻ってきました。
読者の皆様、今年はブログを読んでくださりありがとうございました。
少しでもモラハラに苦しんでる方の救いになれば幸いです。
来年は自分軸をもっと取り戻したいなーって思います。
皆さまもよいお年を!
優しい世界
先日、職場でも苗字が変わったので仕事で関係ある方々にメールで伝えました。
たまたま出社していた先輩に「離婚で苗字が変わりました。」と伝えたら、
「そうなんだ?私も離婚経験者だから。うちの会社、実は女の人でも離婚した人いっぱいいるよ。」
と優しく答えてくださいました。
そんなに交流のある先輩ではないけれど、その言葉がすごく嬉しかったです。
先輩はお子さんのお気持ちを尊重されて旧姓に戻さず、元夫の名前のままずっとこられているそうです。
今は職場の方と再婚されて、とても仲良くて幸せそうです。
また、別部署の仲の良い友達にも「離婚して苗字が変わったからよろしくね」と伝えたら、「(メールで)名前見て誰かと思ったけど、そうなんだ・・・。離婚おめでとう!新しい人生の門出を祝福します!」と言ってくれました。
離婚してモラハラから離れて、他人からもモラハラされなくなってきたように思います。
婚姻中は産後復帰してみれば、同僚女性2人がかりで今でいう「これはモラハラ・マタハラですよ」というものをほぼすべてされました。
よく耐えたなあ・・・。
どうなることかと思ったけど、たまたま会社の都合で3年くらいで別部署に離れられましたが、またそのうちの1人がなぜか戻ってきて嫌がらせが始まり、結局何年かは耐え続けました。
その後、また会社の異動でその同僚とも離れられたのですが、今度は転勤してきた上司がパワハラでした。
その上司も今年の4月には転勤したので、結局1年くらい前までは職場でもモラハラを受けることが多かったです。
おそらく、元夫に怯えている私の心理状態が、そういう人間性を持つ人から本能的にターゲットにされやすかったんだと思います。
今は、離婚しても優しい言葉をかけてくれる先輩や友達が周りにいてくれて、世界が優しくなったなあ・・・と、お昼ご飯を食べながら思わず涙があふれて「ありがとう・・」と独り言をつぶやいてしまいました。
別居して2年程かかりましたが、その2年は私の心を癒してくれた時間でもあったようです。
やはりモラハラの傷を癒すには、離れるのが一番です!