ソラナックス減薬中
ようやく春らしくなってきましたね。
冬は意識してウォーキングはしていたもののどうしても籠りがちでしたが、久々にマッサージへ行ってきてすっきりしました。
外に出ると気分がいいですね。
さて、今10年くらい飲んでいるソラナックスを減薬中です。
離婚して環境も変わったので、自然と減らしていって1日3錠だったのが今は一日1錠です。(たまに頓服)
心療内科が遠くなってから通うのが面倒になったのもあって、そもそもできるだけ飲みたくなかったんですよね。
ただ長いこと飲んでるので慎重に減らしていってます。
医師には伝えており、医師も一応OKはしてくれています。
というか、もう「自分で調整して」っていう放置状態なのですが😢
もっと依存性のない漢方薬とかにしてほしかった・・・。
幸い今年に入って別の先生が来られてるので、その先生は割と相談にのってくださいます。
まあこればっかりは私も知らなかったし、当時の過酷な状態じゃ薬に頼らなきゃならなかったので仕方ないと思うことにしています。
実は過去に2回断薬失敗してます💦
一回目はいきなり断薬して失敗、2回目はマニュアル通りにやって失敗しました。
いろいろ調べてみると個人差がすごく大きいようなので、自分のペースでやっていくしかないようです。
飲んでた年月くらいかけて減薬するくらいに思っておいた方がいいようです。
ちなみに減薬については必ず主治医の先生と相談してやるようにしてくださいね。
個人差が大きいので私の真似はしないでくださいね。
今思っても、あのモラハラ状態の婚姻期間中に断薬するのは無理だっただろうなと思います。
薬だけでなく、自分の元の不安感も解消しないと意味がないので、そちらも同時にやっていくつもりです。
まずは今日いいことがあったこと、頑張ったことを3つ書くというのからやってみようかなと思います。
外食やテイクアウトの記憶
友達との会話でふと思い出したので書き留めておきます。
友達が旦那さんと外食に行く時にどういう風に店を決めるのか聞いたのですが、まず「何食べたい?」と聞かれて、そこから店を2人で決めるのだそうです。
私も友達同士ではそうなのですが、元夫の場合は全然違いました。
一番記憶に残っているのが、博物館に行った帰りの時の事。
随分長時間並んで入場して見れたので、もちろん私も疲れていました。
お昼でもあったので
「何か食べて帰ろう」
と言った所、
「嫌や!家帰って作れ!」
と言われました。
さすがに
「でも疲れたから食べて帰りたいんだけど」
と言うと、博物館の中にあったレストランを指さして
「メニュー見て来い!」
と言われ、走って見に行かされました。
結局そこには入らずに外のお店に行ったのですが、私の意見など全く聞かず天丼などボリューム満点のいわゆるガッツリな写真の看板を出している店を指して
「ここ!ここ!!!」
と言われて、強引にそこに決定されました。
類は友を呼ぶ・・・のか、そこのお店は店長らしき女性が従業員の女性をヒステリックにずっと怒鳴り散らしてるお店でした。
勿論、お客さんには別人のようににこやかなのですが、それが余計に怖かった・・・💦
ピリピリした空気の中食事をして帰りました。
味はもちろん、何を食べたか覚えてません・・・。
店を出たら「あんな店はあかん」と偉そうに言っていましたが、自分も似たようなことしてるのに自覚がないようでした。
テイクアウトも私と子供の好みに合わせて「同じ店の〇〇でいいよ」という配慮は全くなく、
「俺は××の八宝菜がいいからそれ買ってこい」
と楽にするためのテイクアウトが、わざわざ離れてる2軒のお店を自転車で回らなければならないことも多々ありました。
反論しようものなら「じゃあ作れ!」でした。
「今日は疲れたから餃子と納豆でいい?」と言った時も夜の9時だったにもかかわらず、却下されて買い物に行かされて作らされました。
ちなみにこの翌日は早朝4時起きしなければならなかったのですが・・・。
今思うとモラハラというよりは人格障害だったのかも…と思います。
パートナーを人として見ていないですよね。
ただただ、怒鳴られるのが堪えられなくて我慢を積み重ねていたらどんどん感覚が麻痺して行きました。
常に怒鳴られるのが当たり前の状態だったので、他人から「(元夫の)言い方がきつい」と聞いてやっと気づくことが多々でした。
友人も「離婚後だから言うけど、初めて(元夫と)会話した時、とても奥さんの友人に対する言葉遣いじゃないと思った。失礼すぎて驚いた」と言っていました。
調停でも、調停員の方から「(元夫が)言ってることがおかしい。常識がない。呆れた」という感想を聞くことが多かったです。
モラハラの渦中にいると、その時をしのぐことが精一杯になっていたなと思います。
小さい子供をかかえているとなかなか外との交流は難しいと思いますが、なるべく友達やいろんな他人と会話して自分の感覚を取り戻す時間を確保したほうが、自分の状況に気付きやすいと思います。
普通ってどんなの?
すっかり寒くなりましたね。
もうコートの季節かあ・・・。
昨日は心療内科に行ってきましたが、新しい先生と聞いていたので「どんな先生だろう」と思いましたが、キチンと話を聞いてくださるいい先生で良かった~!
まだちょっと薬には頼らないと無理そうですが、「焦らず、徐々に調子を見てゆっくり減らしていくよう加減するといいですよ」と言ってくださいました。
さて、夕方スーパーに買い物に行ったのですが、レジが終わってカゴからエコバッグに品物を入れている時、隣の年配のご夫婦も同じくレジを終えたようで旦那さんが
「エコバックあるか?」
とすっと奥様にエコバッグを出して広げたのです。
その光景が私にはとても衝撃でした。
なぜなら、私はそんな気遣いをしてもらったことがなかったから。
買い物なんてついて来てくれることなんてほぼなく、たまに何かの帰りにスーパーに寄った時は私が持つカゴに品物を放り込んだら一人さっさと外に出てタバコをふかしてる・・・という感じでした。
荷物も私が持ってても当たり前どころか、元夫の分を持たされることもありました。
男性の店員さんに「こんな重い荷物を自分の分まで奥さんに持たせるって信じられないね!!!😲」と驚かれたこともありました。
その時はさすがに持ち切れなかったので持つように言うと、本人曰く「持つの嫌やねん」とのこと。
自分の荷物なのに。
そういうのが当たり前の状態だったので、思わず友達に「今すごい光景見たんだけど!旦那さんがエコバックを奥さんに出してあげてたの!こんな優しい人いるんだね!」
と電話してしまいました。
友達は「は?それが普通だけど?うちなんて荷物は絶対自分から持ってくれるし、直接エコバックに入れたくない品物は全部ビニール袋に入れてくれてるよ」とのお答え。
普通はそうなんだ・・・と、ここでまた衝撃。
友達はモラハラ経験がないのでその後に
「なんでそんなに見る目がなかったの?」
「強くしてもらったと思えばいいじゃん」
「もういいじゃん。終わったことじゃん。」
と悪気なく言ってきましたが、これがモラハラ被害者にとってはキツい言葉なんですよね💦
言っても普通の感覚の人には伝わらないでしょうけどね💦
心の傷ってそんな簡単に忘れられるものではないです。
それにモラって最初は良い人のふりをしてるので見抜くのは難しいです。
でも、モラから離れられて時間が経っても、こうして日常で仲の良いご夫婦を見ることがあると「奥さんを気遣ってくれる旦那さんっているの?」って思ってしまいます。
TVなんかでもそういうシーンがあると「えっ!?」ってなります。
特に苦手だったのがちょっと前の某自動車メーカーのドラマ仕立てのCMでした。
所謂、家族にまつわるいいドラマシリーズ。
どうしても「そんなにできた旦那さん実在するの?」って思ってしまって( ;∀;)
今はやってないのか、見かけないので安心ですが、離婚調停の際中にやたら見かけたCMだったのですごく嫌でした。
こういうの、私には信じられない世界なんです。
普通はそうなんだろうなと頭では理解してはいます。
まだまだ心の傷を癒すには時間がかかりそうです。
やっぱり時々こうして過去の傷が疼いた時は無理に蓋をせず、プロのカウンセラーに頼ったほうがいいかもしれませんね。
最近はモラハラ専門のカウンセラーさんも多いですし、やはりモラハラの経験があってきちんとした資格がある先生は気持ちを理解されるスピードが速いです。
幸い、私は一人いい先生を探して何度かお世話になって随分救われたので、いいカウンセラーさんを探しておくのはおすすめです。
一人に限らず、何人か相性のいいカウンセラーさんを見つけておく方がいいと思います。
リモートでもよければココナラでも聞いてくださる先生たくさんいらっしゃるのでオススメですよ。
やっと魚が普通に食べられるようになった
寒くなりましたね。
よく考えたらもう11月ですもんね。
最近、ふと気づいたのですが、お魚が普通に食卓に出せるようになりました!
普通の人にとっては当たり前なんですが。
元夫がすごい偏食で、結婚していた時は肉しかおかずにできなかったんです。
私は青魚が好きなのですが、サバやサンマは絶対ダメと言われていました。
匂いが嫌だと怒鳴られるので、自分の分だけ料理することもできず。
離婚してからもしばらくは心理的に肉メインの食事しか作れなかったんですが、少しづつ意識して魚料理を作るようになってから、今ではやっと抵抗もなく魚をおかずにできるようになったことに気付きました。
ここまで回復するのに1年以上かかりました。
長かったなあ・・・。
やっぱりお魚は美味しいです!
焼くだけでできますし簡単!!!
幸い、わが子も給食のおかげで魚も食べてくれるのでありがたいです。
今の給食、びっくりするくらい料理のバラエティあって美味しいですもんね。
私の頃なんて単純なものしか出ませんでしたよ(笑)
グラタンとかパスタなんて給食で出たことないなあ。
ケチャップ味のナポリタンぽいのはあったかな?
食事は毎日の事ですから、偏食な相手だと本当にきついです。
と言っても、結婚前は猫かぶってたので全然見抜けませんでしたから、普段から外食などの際に頼むメニューに偏りがないかチェックしておくほうがいいかもしれませんね。
結婚するなら食の好みが合う人のほうが楽ですよ。
離婚してから見る結婚式の写真
今年は9月に入ったばかりなのに涼しいですね。
もう秋なのかな?
今日、外出した際に用事があり某大手ホテルの中に入りました。
たまたま入った入り口のすぐ横にあったのはウエディングドレスを着た新婦の写真。
何個か横並びにドラマチックに飾られていました。
なんでまたこの入り口から入っちゃったんだろう(笑)
朝だったからかドレスショップは開いていませんでした。
今は結婚式もできないのでしょうね。
正直、離婚した今でも「結婚式って素敵だなあ」と思いました。
厳かな結婚式場、綺麗なドレス、可憐なブーケ。
若い女の子なら憧れるもの。
私もそうでした。
と同時に、「結婚して幸せになりたかったのにな・・・」という切ない気持ちがふつふつと湧いてきました。
結婚の良いところは共にいろんな感情を分かち合い助け合い生きていける相手がいることでしょうか。
もちろん相手によりますし、信頼関係が築けて上手く相性が合えばの話ですけど。
そういう相手に恵まれた人にとって家庭とはすごく安らぐ場所なのでしょうね。
いくら結婚式が素敵でも、さすがに再婚願望は全くないので表現が難しいのですが「もし、もう一度昔に戻れるなら、ちゃんとした相手を選んで結婚したかった」という後悔という感じに近いかな。
離婚してしばらくたってから見る結婚式の写真は、なんだか複雑な気持ちになるものですね。
いつかは、そういう切なさも薄れていくのかな。
児童扶養手当の手続き
暑いですね💦
マスクで余計に暑いのですが、ひんやりマスクちょっとは違うのかしら?
そんなに外出しないけど買ってみようかなあ。
さて、市役所からの通知が来たので、児童扶養手当の手続きに行ってきました。
一応、会場を設けて一斉に手続きするようでしたが、問い合わせたら
「窓口で個別に申し込みでもいいですよ」
と言ってくださったので、人数が少なそうな時間帯で済ませてきました。
持って行くものは届いた封書だけでいいとのことでしたが、養育費が振り込まれている通帳を持って行った方が記録が分かるので持って行った方がいいです。
今はこの手続きで窓口に行く方がほとんどらしく、待っている方はひとり親の方ばかりだと思いますが、常に何人か待ち状態でした。
私はたまたま3番目だったのでタイミングよかったみたい。
私の後からも続々と子供連れの方が来られていました。
ひとり親の方、多いんだなあ・・・。
市役所が専用の手続き会場設けるくらいですもんね。
幸いにもママ友さんや知り合いには出会いませんでした。
窓口の方が丁寧に説明してくださったおかげで、10分くらいで終わりました。
うちは養育費を裁判所に申し立てて先方の会社経由で受け取っており、本人から直接受け取っていないので書き方がよくわからなかったので助かりました。
手続きしてみて「離婚して半年以上経つんだなあ」と改めて実感しました。
なんだかもっと前の出来事のような気がします。
学生時代の思い出はついこの前のことみたいなのに、嫌な思い出って遠く感じるのですかね。
私も離婚直後にくらべて随分精神的に落ち着いてきたように思います。
カウンセリングも今はほぼ依頼していないです。
心療内科はまだ通ってますが、診察で5分程度調子を話すくらい。
まだお薬は飲まないと無理ですが。
いつかこちらも大丈夫になるといいな。
人生のモデルコースについて
冬から一瞬春になって梅雨になりましたね・・・。
年々、春が短くなってる気がします。
一昔前に比べるとかなり世の中もライフスタイルも変わってきてますが、私が結婚した頃は世間に人生のモデルコースみたいなものが暗黙の了解でありました。
高校を卒業したら大学(短大、専門学校)進学、卒業したら就職して25歳までに結婚、30代前半までに出産(子供2~3人)、マイホーム購入→子供たちが独立したら夫婦で余生を過ごすという感じでしたし、みんなそうするのが当たり前でしょ?な世の中でした。
特に適齢期過ぎても結婚できない人は「問題あるんじゃないの」という目で見られる時代でした。
よくよく考えたら必ず25歳までに運命の人と全員が出会うなんてこと自体ありえないですよね。
私はまず大学受験で一回失敗して浪人してるのでそこで1回目のコースアウトを経験してます。
卒業式、みんなが解放感と新しい門出に希望でいっぱいの中、一人職員室で先生から予備校のパンフレットもらうためにストーブの前で待っていたら、名門大学に合格した同級生達が入ってきて前で楽しそうにしてたのが辛かったな。
あの時は恥ずかしさと不安で人生真っ暗になった気分でした。
でもいざ予備校行ってみたら、同じ仲間いっぱいいるし、講師は個性的で面白いし授業は分かりやすいし、寮は同世代の子ばかりで意外と楽しかったんですよね。
大学生活にはかないませんが、学生生活で一番楽しかったかもしれません。
もちろんプレッシャーは半端なかったし、勉強も必死でしたけど。
講師が結構ぶっ飛んだ豪快な生き方をされてる人が多くて、授業の最初にちょこっとご自身の人生経験を語ってくださる時があったのですが、それが後々の自分にとってとても参考になったりしてます。
案外、女性の講師のほうがいい意味で豪快でした。
保守的にな田舎では聞けないような話だったので今思うと貴重だったな。
2回目のコースアウトはもちろん離婚です。
まだモラハラの後遺症は抜けきっていませんが、別居してからどんどん体調も気分もよくなりました。
夜中寝ていて蹴られることもなく朝まで眠れるし、どこで座ってもどこで寝転んでも文句言われないし、晩御飯が焼き魚でも文句言われないし・・・って普通の人からしたら当たり前の生活ですが、断然結婚してた時より気楽です。
今思うと、一般モデルコースで生きてた方が格段に辛かったです。
意外とコースアウトしたほうが楽しかったりしてます。
私には一般的なモデルコースは合わなかったようです(笑)
離婚してからの人生設計ってモデルコースがないんですよね。
もうここからはその人それぞれって感じがします。
今、正直ビジョンが全くありません。
別の言い方をすれば「自由」。
でもそれもいいかなーと思ってます。
今思えば、子供の頃に親に叩き込まれた人生のモデルコースは絶対嫌だったし、就職試験の面接でもやたら将来設計も世間一般のモデルコース前提ありきで聞いてくるので無難な回答をするしかありませんでしたがものすごく嫌でした。
今は就職の面接でプライベートなことまで立ち入って聞かれないと思いますが、当時はそれはもうズケズケと失礼なことを言われるし聞かれました。
ニコニコしつつも「今この就職試験ですら合格なのか分からないのに、そんな何十年も先の事なんか分かるかー!」って心の中で絶叫してました(笑)
当時、上から目線で好き勝手聞いて来てたあのおじさん達も、今こんなに価値観が変わるとは思ってなかったでしょうね。
まあ、幸いそういう会社とはご縁がありませんでしたが、今思うと入らなくて良かったなーって思います。
ちょっと話がそれましたが、世間の描いた理想の人生なんて「こういう生き方が一般的」っていう単なるパターンの一つにすぎません。
合う人と合わない人がいるし、違っても恥じることはない。
他人とは一味違う人生の方が実は自分にとっては幸せだってこともあるんだってことを2回のコースアウトで知りました。
人生って本当はその人それぞれ。オリジナルで当たり前なんです。